フカミさんに絵を描いて頂き、完成するまでの間、
それは今思い出しても愛おしく思えるようなとても素敵な時間でした。
Instagramで制作途中の様子がシェアされる度、その絵が変化していく様子にわくわくし、時にそれまでとは大きく姿を変え、変化するその絵の様子に、新鮮な驚きと喜びを感じたりしました。
そしてまた、そこに添えられた言葉にも、何度も心動かされました。
そこに紡がれた言葉と、その言葉を画に表してくれているような、制作途中の絵からも伝わってくるような何かが、何度も私の深いところを刺激して、その過程がシェアされるたび毎回人知れず感動していました。
そして、そんな風に絵が制作されている間、絵を通してフカミさんや、その絵と、どこか深いところで繋がっているような、そんな感覚がありました。
だから、その絵が完成した時
「やっとその時が来た」
というゾクッとする感覚と共に、
「ああ、この素敵な時間が終わってしまうんだな」
という寂しさが同時にありました。
(むしろ寂しさの方が勝っていたかもしれません笑)
そうして出来上がった絵は、その制作過程でくれた言葉たちと相まって、私の深いところ、自分自身の大切な真のところを思い出させてくれるものとなりました。
「暮らす家が
聖地となるようなアート」
という言葉は、フカミさんのウェブサイトに書かれている言葉ですが、今回オーダーした絵と、私が一目ぼれして購入させて頂いた絵。それら二つの絵は、私の家の中で文字通り聖域のような、本当の自分を思い出させてくれる場所として、そこにあります。
もしも、フカミさんにオーダーアートを描いてもらう機会があり、
「制作過程をSNSでシェアしてもいいですか?」
と聞かれたら。そしてもし、それを断る特別な理由がないとしたら、ぜひ「YES」と答えて欲しいなと個人的に感じています。
なぜならそこには、その過程でしか味わうことができないものがたくさん詰まっていて、その時間全てが、素敵な贈り物のようだと思うから。
フカミさんが、私の中のどこか深いところを感じとって描いてくれたその絵と、その過程で紡いでくれた言葉は、私に多くの気付きをくれ、これから先辿り着きたいと願う、その場所を思い出させてくれる、道しるべのようなものになりました。
迷ったときにはその絵を観て、自分の中にある大切な何かを思い出し、進んでいける。
そうして生み出してくれた絵は、もはや絵としてだけではなく、お守りのような役割も持つ何かとして、すぐ近くに存在してくれています。
そんな風に大切な気づきと、素敵なものがたくさん詰まった時間と、そういう全てが感じられるもの。そう言うもの創って、この世界に送り出してくださったこと全てを、心からありがとうございました。