episode1からだいぶ経ってしまいました!

神様から突如闇の話へと移ります

“私はいつも自分が感じていることを表にだすときに恐れがあるんだなーとこのdiaryを書き終わって気づきました。気づきアウトプットは自分のために。身を持って体験したことはありのままにもっと表現してもいいのかもと思いました。自分の言葉を信頼してみよう”

episode1を読まれた方はわかるとおり、もうどうしようもない時に

出世の階段が目当てで

人生初の本気の神頼みに神谷町の愛宕神社へ行きました。

そして向かう途中に神谷町の愛宕神社がITの神様だと知り、着いてから芸能の神様でもあると知りました。

PCが直りますように・HPが無事完成しますように。どうかお願いいたします。そんなお願いごとをしたその日の夕方、PCは無事に直りました。

嘘みたいだけど、Macが最新に無事アップデートされ、不具合が出るかもと説明を受けたWordもExcelも不具合なく、誤作動なく復活しました。

Appleさんのサポートはめちゃくちゃ優秀です。

何度も連絡しました。(^^)

愛宕神社の雰囲気がとても良くて、私は神社内の茶店へ

(東京23区内で一番高い自然の山の上にある茶店。神さまからのお下がりものを召し上がれます。

Twitterより)

撤饌とは神様の供えものを下げるという意味だそうです。

撤饌料理はそこからお食事を作ったもの。

前の日に師匠に落ちつく場所がないと話していたら、次の日に落ちつく茶店にたどり着いて。

東京の真ん中ではない、どこか旅先のお茶屋さんのような雰囲気でした。

お好きな席へと言われ奥の畳の部屋でひとりゆっくりと過ごしました。

全部美味しくてお会計の時、とても美味しかったです!と頭を下げていました。

それまで少し殺気だっていた、前のめりになっていた心がゆるゆるに解れていきました。

私のその時の近況

一緒に暮らす人が裏切りをした。社会的にも家族にも。2度も。そしてその日は娘の誕生日だった。

その人は毎日家にいる。自分のこと。娘のこと。猫たち。仕事。それだけに集中したくても

嫌な気持ちになることが一緒に暮らしていると出てくる。

タバコもお酒も音も全てが嫌だった。

ともかく落ち着く場所がなかった。

愛宕神社には鯉がいっぱいいます。

その鯉の前に来た時、

鯉たちがもう飛び跳ねて池から出ちゃうんじゃないかという勢いで口をぱくぱくさせて、正直気持ち悪いなと思ったのです。

この写真は落ちついています。

その後、あ!餌がないのかもと餌を買い鯉にあげました。

その時もものすごい形相で飛びかかってきそうでそばに立てないほど。

また気持ちが悪いなと思ったのです。。

同じ場所で外国の方が鯉に餌を撒いていて

その時鯉は気持ち悪い形相ではなかったのです。

私が近くに行くと全身水から飛び上がり足元まで飛びかかってきそうな勢いで

ぱくぱく口を開けて食べられそうな不気味さを感じたのです。

外国の人を真似て遠くに撒いてもやはり気持ち悪くて。。

あー気持ち悪いと思って。

参拝した後、なぜか、その嫌で嫌で仕方なかった人のお守りを選んでいました。

ずっと許せなくて、苦しくて、気持ち悪くて仕方なかった人に普通に御守りを買っていました。ここにしかないという道開きの神さま。天狗の御守りでした。

神社を出た後、虎ノ門の氣が佳くて気持ちよく歩いていたら

ふと夏に参加した甲府の結フェスで、

自分が小さな女の子と龍の絵を描いていて、女の子が龍の鱗の書き方がわからないという話から

鯉のぼりは龍から来ているんだよと自分が話していたことを思い出しました。鯉を想像してみてって。

鯉は穢れをとる

どこか本で知った言葉です。

神社の帰りは嘘みたいに身体が軽くなって、酸素が行き渡るように細胞が生き生きした。

もしかしたら私が人を嫌だ許せないと思う気持ちを鯉たちはとってくれたのかもしれないと

思ったら涙が溢れ出てきました。

穢れていたのは私だったのかと。素直に感じて受け入れたら歩きながら

涙が溢れ出てきた。

肯定と否定がより高い次元では同じものだという指摘をしたのはフロイト。

そして何かに対して強烈に憎悪を感じているときも、それは自分の中にあり

現れたものにすぎないということもどこかでわかっていながら見つめることができなかった。

人はこうあるべき。どこかでいつも自分をジャッジしていた。闇がある。

それはずっと私を幸せにはしていない。

相手は自分を満たす幸せにいまできる行為をしているだけ。

ただ勝手に私が憎悪を感じるのは私の中に人は正しくあらねばいけないという気持ちがあったから

苦しかった。

自分の正義みたいなもの。

光も闇も同じ

 ◯遍界不曾蔵(へんかいかつてかくさず)

世の中は何かを隠したりしていない。真実は隠されているのではなく、すべてあなたのまわりに現れている

光だけ肯定して闇を否定していたらどちらも存在しないのと同じこと

私の中にも闇があり、それを身近な人の行いから知った時、何だかとても

楽になって空気がやっと渡るように美味しかった。

ネットで調べてみたら愛宕神社 スピリチュアル 鯉で発信されている方もいたので

同じような体験をされた方もいらっしゃるのかもしれません。

自分の中に巣食っていた闇。

自分を幸せにすることにフォーカスするところから

闇から逃れることにフォーカスが行っていた時

私の現実は嫌なことばかりを見せていました。

丸ごとの自分を愛せていなかったのだなーと気づいたのでした。

丸ごと愛されたかったのかもしれない。

いますぐ自分を幸せにしていたら相手の行いの中に憎悪は見ない。

闇は光を照らす。

もっと自分を愛で満たそう。

そしてお礼参りに行った目的は鯉でした。

あの後身体が軽くなって、ご機嫌になって元気になった。

スピリチュアルとか信じていない娘に、帰ってすぐ話していたから相当嬉しかったのだと思う。

穢れていたのはママだったと。鯉がとってくれたんだよ!って意味わからないと思うのですが。。

お礼参りに行った2月6日

鯉は現在愛宕神社が境内整備工事中で養鯉所へ移動中。鯉に会えず。。

その代わり梅が迎えてくれました。

この後ずっと書けなかった。なぜ私が絵をやっているのかの理由をやっと言葉に、文章にすることができました。

愛宕神社の山から帰る途中に

続く

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